【第16話】ほしおさなえ『活版印刷三日月堂 星たちの栞』大切な人にかける言葉を探している人へ。
こんにちは。
下宿先に戻ってきました、okapです。
一人暮らしのことを下宿するって関西の言い方だっけ?まあいいか。
台風の影響で明日が休みになって嬉しいです。
これ幸いとばかりに、実家から本を借りて帰ってきました。
母がおもしろそうだと思って買っておいた本です。私が先に読ませてもらいました。
この方、著作を読むのは初めてになります。
川越という都市が舞台です。
調べてみると、埼玉にあるんですね。江戸時代の城下町らしく、今でも古い街並みが残っているようです。
そこにある、印刷所のお話です。
皆さんは、活版印刷ってご存知でしょうか。
私は、聞いたことあるかも、ぐらいでした。
古本屋で古い本を開くと、小さい文字が一つひとつ、くっきりと浮かんでいる、あれですかね。だと思うんですけど。
現代の印刷では味わえない、一文字一文字が立ち上がるような存在感。
三日月堂を営んでいた祖父の死後、またそこに住むようになった孫の弓子。
最初は、印刷をする気はなかったのですが、依頼されて再開するようになります。
小説は、短編集の形式になっています。
印刷された文字を通して、様々な人が自分の思いを伝え合う。
直接は言えないことでも、形にすれば、伝えられる。
活版印刷で印刷されたショップカードや、名刺を見て、興味をひかれた人がどんどん扉をあけて、手探りで始めた弓子もまた、世界が広がっていきます。
過去がわたしたちを守ってくれる。そうして、新しい場所に押し出してくれる
本当にその通りだなあと思います。
しんどいときも、立ち止まったときも、結局は、幸せな過去の思い出がそっと背中を押してくれる。
もう一つ、大切な文章があります。
たまには、弱音をはくことも必要だな、って
弱さがあるからつながる、ってこともあるじゃないですか。
強そうに見える人でも、そのなかには何かを抱えている。
それを見せることができたら、少しは救われる。
活版印刷を通して、お客さんの心に寄り添ってきた弓子さんですが、お客さんによって救われることもある。
素敵なお話でした。
これも続きがあるようですね、また読みます。
【第15話】小手鞠るい『美しい心臓』美しいものを手にとって、ため息をつきたい人へ。
こんにちは。
ここ数日、あまりの眠たさに更新を断念してました、okapです。
でも、ずっと宿題をサボっているような、もぞもぞ感があったので、ブログ更新が身についてきたような気もします。
昨日今日とお休みなので、久しぶり(といってもお盆振り)に実家に帰ってきました。
一人暮らしの今の部屋よりは、今まで買いためた本がぎっしり詰まっているので、本棚を眺めているだけでも幸せです。
母親も本が好きなので、帰るたびに最近読んだおススメの本を教えてくれるのもよき。
今日は、大学生の頃に読んで、強烈に印象に残っている小説を紹介します。
小手鞠るい『美しい心臓』
願っていたのは、死だった。
死を願いながら、わたしはあの、短い日々を生きた。
冒頭の二行の美しさ。
本屋でたまたま手に取った本の書き出しがこれだったなら、間違いなく買います。実際買いました。
読んでみると、最初の二行だけではないんですよね。
短い小説ではなく、長い長い詩を読んでいるような。
主人公の女性は、DVをする夫と別居中でありながら、既婚者の男性と恋に落ちます。
世間から隠さないといけない関係であり、男性には当然家族があります。
それらに嫉妬を抱えつつ、一切を見ないように、男性との逢瀬に集中する主人公。
そんなある日、男性が仕事の都合で、コスタリカに三週間滞在することになります。
主人公は、男性の「妻」として、見知らぬ土地でのびのびと過ごします。
限られた、幸せな時間。
しかし、帰国してから、些細なきっかけで、少しずつ歯車が狂い始めます。
止まらない狂気と、我に返る出来事。
主人公は別れを決意します。
冒頭とラストの対比があまりにも完璧で、鳥肌が立つほどです。
美しく、完全でありながら、途方もない凄みを感じさせます。
言葉の美しさもさることながら、作中の出来事全てに意味があり、支え合っている。どのエピソードを抜いても、物語が完成しない。
全体の構成としても、とても美しく、無駄がありません。
美しいって何回言うねん!という感じですが、全く本当のことです。
豪奢な工芸品を手にして、思わずため息をつくような気持ちで本を閉じました。
将来の選択肢を広げるために勉強しましょうって言うけど、それだけでいいの?
こんにちは。
元上司と飲みに行ってきました、okapです。
今回は、閑話休題として、本の紹介ではなく、最近考えていることを。
ブログというものにてんで興味がなかったのですが、今こうして自分でブログを書いています。そのきっかけの一つは、プロブロガーのあんちゃさんです。
彼女は、新卒で入った会社を2年目に辞めて、ブロガーとして独立しています。
ちょうど、私は今、新卒で入った会社の2年目なんですね。
なんとまあ、タイムリーな。
ここでは、彼女に倣って、自分の思うことをそのまま書いてみようと思います。
アソビくるう人生をきみに。 好きなことを仕事にして、遊ぶように生きる人生戦略
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自分のやりたいことって、なんなんだろう。
まだ2年目ではありますが、学習塾に就職した私は、それなりの数の子どもたちに出会いました。
ときには、「この子は何が楽しくて生きているんだろう」と思うぐらい、将来について・志望校について、自分のやりたいことを答えられない子がいます。
将来どうしたいの?何がやりたい?
そう聞かれて、特に何も思い浮かばない。
もしくは、いい学校にいって、いい大学にいって、いい会社に就職すると答える。
そんなとき、私はこう答えます。
特にやりたいことがないなら、いずれ見つかったときのために、選択肢を広げておこう。そのために、勉強がんばろう。
でも、これでいいんだろうか。
じゃあ、いつ、その広がった選択肢から、将来を決めるの?
そのときに、何を基準に、それを選ぶの?
自分が何をしたいのか考える耐性をつけないまま、決断の場面にきたときに、果たして自分の意志で選択できるんだろうか。
「決めなきゃいけないときになったら、決められるだろう」という意見もあるでしょう。
確かにこれも一理あります。
私は自分が優柔不断だと知っているので、料理店で注文が決まってないのに店員さんを呼んだりします。来たら強制的に決めざるをえないから。
そのとき、「やっぱりあっちにしておけば……」と後悔することもありますが、たいてい出てきた料理を美味しく食べて忘れます。
どうしても気になる場合は、もう一度食べに来たらいいのです。
じゃあ、やっぱり、決めなきゃいけないときに、決めたらいいじゃないかと、思うかもしれません。
でも、上記の料理の話は、「食べたいものが複数あって選べない」場合であり、「食べたいものが何もないけど、とりあえず選ばないといけない」状況ではありません。
ま、食べる気分じゃなかったら、お店には行かないか。
「何もやりたくないけど、生活するために取り敢えず働かないといけない」から、目の前にある選択肢のなかから、一番マシそうなものを選択する。
そして、嫌だなあと思いながら毎日働いて、たまの休みに一息つく。
私は、そういう人生は嫌だなあと思うし、子どもたちにも、そうなってほしくはないなあと思います。
どうせ生きるなら、楽しいことだけやって、生きていきたい。
好きなことを仕事にしたい。
どうせできないと諦めるんじゃなくて、まずは、実現できるように、努力したい。
私は今まで、たくさんの将来の夢を思い描いてきました。
うさぎ、ケーキ屋さん、医者、国連職員、作家、小説家、NPO法人で働くこと、カウンセラー……などなど。
しょっちゅう変わるけど、そのたびに、本気でいいなあと思ってきました。
国際関係の仕事に興味があったから、大学の学部は国際系を選びました。
在学中に、教育、それも国内の教育に興味が移ったから、就職先は学習塾にしました。
そして今、悩んでいます。
私が本当にやりたいことは、教育なんだろうか。
好きで好きで仕方がないことは、なんだろう。
本を読むのが好きです。
いつか、自分も小説家になりたいと思ってきました。
このまま、諦めてしまっていいのだろうか。
一つのところに留まりたくありません。
その日どこに行くか、毎日決められる生活がしたいです。
実現する方法はないだろうか。
来年あたりに仕事を辞めるような気もします。
それじゃあ、私は、無駄な時間を過ごしたのでしょうか。私の選択は、失敗だったのでしょうか。
答えはNOです。
就活していた当時の自分は、ベストな選択をしたと自信を持って言えます。
全てを納得ずくで入った会社だったけど、自分のやりたいことを考え続けていたら、少し違う未来を望むようになっただけです。
自分の心に正直であり続けようとしたから、見えてきたことです。
文章を書くのが好きです。できれば、これを仕事にしたいです。
そのために、まず第一歩として、ブログを始めました。
どうか、子どもたちが、自分のやりたいことが何か、考え続けられますように。
そのために、今の職場にいる限り、子どもたちに質問をし続けます。
人は、聞かれたら、考えるから。
何度も何度も聞くから、そのたびに、少しずつ、考えてほしい。
考えがまとまってなくてもいいから、それを、伝えてほしい。
人は、話すうちに、考えがまとまることもあるから。
【第14話】上橋菜穂子『狐笛のかなた』誰になんと言われようとも、幸せだ。
こんにちは。
昨日夜更かししすぎて眠いです。okapです。
今日は紹介するだけに留めて、自分はどっぷり読み返さないようにするぞ……!
ということで、何度も何度も読んで、ほとんど内容を覚えている小説を紹介します。
上橋菜穂子『狐笛のかなた』(こてきのかなた)
十一月の扉と並んで、私のバイブルです。
物語は、運命的な出会いから始まります。
初めての任務で手こずり、怪我を負い、猟犬に追い立てられる霊狐の野火。
そこに出くわした少女、小夜は、思わず野火を懐にいれ、走り出します。
とはいえ、猟犬の足と少女の足。小夜は猟犬に追いつかれそうになります。
そこを救ったのが、屋敷にひっそりと匿われる少年・小春丸でした。
とりあげ女(産婆)の祖母と、里の外れに暮らす小夜。
死にも近い職業である祖母は、里の者とはあまり関わりすぎないように生活しているし、小夜は小夜で、他人の心の思いを聞くことができたので、人混みよりは、すすき野の静けさを好んだ。
両親がだれか、なぜ匿われているのかも知らず、屋敷に閉じ込められる小春丸。
周りにいるのは大人ばかり。することといえば、勉強と武術の訓練。
そんな毎日に退屈していた。
お互いに孤独な二人は、すぐに仲良くなり、夜にこっそり抜け出しては何度も会うようになります。
そして、仲睦まじそうに喋る二人を、遠くから寂しく見守る野火。
主に命じられて人を呪う使い魔の野火は、自分は汚れているからと、二人に触れることはしません。
それでも、野火もまた、二人のことが忘れられず、そっと様子を見に来るのでした。
そこから、時は流れ、小夜は市で、自分と母のことを知る女性に出会います。
そして、術をつかう素質のある小夜は、国の権力争いに巻き込まれていきます。
それは、小春丸も、野火も同じでした。
幼い日に心を通わせた三人(二人と一匹)が、三者三様の立場で向き合います。
そのとき、野火が、小夜が、そして、周りの大人たちが選んだ道はーー。
この本のテーマは、「幸せ」だと思うんです。
小春丸の幸せのために、彼を隠し。そのために、小春丸自身は、孤独になり。
血で血を洗う権力争いだって、元を辿れば、幸せのためだったはず。
でもそのせいで、お互いが不幸になっていく。
幸せって、なんなんだろうと。
それに対する一つの答えが、この物語のラストシーンです。
小夜の選んだ道を、小春丸はむごいと言う。
しかし、小夜は、本当に本当に、幸せて仕方がないという笑みを浮かべます。
他人からどう思われようが、小夜は自分の選択に満足し、幸せなのです。
泣きたいようなよろこびが、胸にあふれて、小春丸は小夜へ、手をたかくあげて、ふった。
この一文の美しさ。
とても、うつくしい春の景色のなか、この物語は幕を閉じます。
追伸:小夜と小春丸が食べてた胡桃餅がおいしそうだったなあ。
レシピ本まで出るくらい、上橋菜穂子の小説は、食べ物が美味しそうです。
【第13話】沢村凛『黄金の王 白銀の王』圧倒的な大きさに触れたい方へ。歴史小説が好きな方にも。
こんばんは。
今日も今日とて、こんな時間です、okapです。
最近、本を読むのが楽しくて仕方がない。まるで中高の頃に戻ったかのような。
本を買ったり、紹介するたびに思うのだが、本ってこんなに安くていいのかしら。
たった、1000円弱で、このさきの人生を支えるものに出会ってしまってよいのかしら。へんなの。
へんなのと思いながら、今日も、その幸福を享受します。
さて、今日紹介するのは、沢村凛『黄金の王 白銀の王』
読んだのは大学生の頃だろうか。
初めて読んだときの衝撃を、まだ覚えている。
こんな骨太な、歴史の流れを生み出すことのできる人がいるのかと。
憎み合い、殺しあってきた鳳穐(ほうしゅう)と旺廈(おうか)の一族。
もとは、祖先を同じとしながら、血で血を洗う争いを繰り返してきた。
しかし、鳳穐の頭領である、ひづち(まさかの漢字変換が出来ず。のぎへんに魯です)は、旺廈の血を最も濃く受け継ぐ薫衣(くのえ)に、あることを持ちかける。
それは、国のために、二つが一つになること。
現在、国は鳳穐が治め、旺廈は各地でひっそりと暮らしている。
旺廈であることを公言すれば、‘旺廈狩り’の対象になり、殺されてしまう。
薫衣以外の人間で、前頭領の血を継ぐ者はいない。
蜂起しようにも、薫衣の存在を無視できない。
旺廈を押さえつけるには、薫衣を生かしたまま監禁しておくのが一番都合がいい。
なのに、ひづちはそうしなかった。
「旺廈を根絶やしにしろ」という父の遺志、「殺せ」という周りの声、「殺したい」という自分の思い、それらを無視して、一つになる道を選んだ。
もちろん、平坦な道のりではない。
そもそも、ひづちも、薫衣も、そう簡単に容認できる話ではない。
お互い殺しあってきたのだ。お互いがお互いの仇なのだ。
だが、それを頭で、理屈でねじ伏せ、二人は共に道を歩むことになる。
敵からも、味方からも、反対され、蔑まれ、理解されない荊の道だ。
失敗は許されない。
剣の上に立ち、針で糸を通すような危うさで、二人はじりじりと進んでいく。
反乱が起こることもある。謀反が起こることもある。
それでも、歩みを止めず、進み続ける。
これは、フィクションであり、ファンタジーだ。
鳳穐も、旺廈も、現実には存在しない。歴史上の、どこにも存在しなかった。
架空の作り話だ。
でも、なんだこれは。
なんだこの、圧倒的なリアリティは。
なんだこの、圧倒的なスケールは。
あまりの大きさに、しばらくの間、呆然としていた。
【第12話】志坂圭『滔々と紅』人生を肯定したい方へ。
こんばんは。
今日は早く寝ようと思っていたのですが、なにやらこんな時間になってしまいました、okapです。
今から寝ようと思うのですが、気が立って眠れそうにありません。
読む本のチョイス、しくったかしら……。
本日紹介するのは、志坂圭『滔々と紅』
読むのは二回目なので、寝れないのは自業自得ですね。
とても、格好いい女子の話です。この場合、女子は「おなご」と読んでください。
ときは、天保の大飢饉のころ。
女衒が、一人の少女を買うところから始まります。名は駒乃。
5年も不作が続いており、あちこちに屍体の山ができる惨状のなか、口減らしのために、仕方なく、彼女は吉原へ売られていきます。
そうして飛び込んだ吉原の世界。
そこは、地獄のような場所でした。
病気になれば、外に放り出されるからと自害し、身内と恋をすれば、それがご法度だからと心中し。
逃げても直ぐに捕まり、連れ戻されて折檻され。
売られてきたときは8両ばかりだったのに、客を取るにつれ、出世するにつれ、借金ばかりが増えていく。
そんな環境のなか、駒乃は様々に名を変えながら、持ち前の気の強さで、たくましく生き抜いていきます。
花魁にまで成長した彼女が、三人の武士を毅然と追い払うシーンがなんとまあ、格好良い。
人に誇れる職業ではないけれど、花魁としての意気を貫く姿勢にしびれます。
吉原という場所で、諦め、嘆き、開き直り、少し報われ、絶望のどん底に突き落とされ。
やがて、ひとつの心残りを叶えるため、駒乃は、ある選択を下します。
まさしく、波乱万丈と言うよりほかない人生です。
まわりの環境に妥協せず、自分の意志を貫き通した駒乃。
読むと、すっと背筋が伸びる思いがします。
そして、素晴らしい舞台を観たあとのように、鳴り止まない拍手を捧げたくなる。
そのようなお話です。
駒乃の力強さに触れて、人間って、人生って、悪くないかもなと思う。
そんなお話です。
【第11話】近藤史恵『スーツケースの半分は』日常に対して、「なんだかなあ」と思う人へ。
こんばんは。
今日は、三時間だけ働いたあと、美味しいお昼ご飯を食べに行って、帰りに気になっていたハンドメイドの雑貨屋さんに寄りました、okapです。
一目で気に入って、ショートのくせに髪留めを買ってしまいました。
水色のグラデーションタイルのうえに、ヒトデや、貝殻や、ガラスの石が置かれていて、とても綺麗です。
夏全開のデザインなので、今年はもうあまり身につけられないかなあ。
でも、見てるだけでときめくし、来年のお楽しみです。
そのあと帰宅して、近藤史恵『スーツケースの半分は』を読了。
読んだあと、珍しく、とても気分が沈みました。
取り敢えず、お腹が空いたのかなと思ってラーメンを食べに行きましたが、ずっと気分は晴れず。まっすぐ家に帰りたくなくて、オランジーナを片手に少しだけ近所をぶらついて帰りました。
日頃、見ないようにしていたことを、思わず考えてしまったんだと思います。
朝、電車に乗るたびに、このまま違う駅で降りて、気ままに散歩したいと思うこと。
旅行に行くときの、弾んだ気持ち。このまま、どこにだって行ける万能感。
一人ぼっちで異国にいるときの、自分が今ここにいる不思議と、少しの寂しさ。
あのときは、あんなに自由だったのに、今はどうしてこんなに、息苦しいんだろう。
ふと思いましたが、なんで人間って旅行に行きたいと思うんでしょうね。
長期間の休みであっても、家で過ごす選択肢もあるのに。
誰もが日常から逃れたがっているのか、それとも、狩猟民族だった頃の名残なのか。
ときどき夢想します。
自分は、その時代に生まれた方が、幸せだったんじゃないかと。
それとも、結局は、ないものねだりなんだろうか。
話を小説に戻しますね。
短編集で、それぞれ主人公は違います(というか、登場人物の一人ひとりにフォーカスがあたる感じかな)。
一話目は、海外に行ったことがない真美が、フリーマーケットで青いスーツケースと出会ったことに背中を押され、ビビりながら一人で憧れのニューヨークに行く話。
そこから、真美の友人がそのスーツケースを借りて旅行に行く話が続きます。
それぞれの旅で、幸せなことが起こるため、幸運のスーツケースと呼ばれることに。
そして、最後は、とても綺麗に物語が着地します。
ただ、幸せなことが起こると言っても、幸せ全開!という出来事ばかりではありません。腹がたつことも、落ち込むことも、たくさん起こります。
それでも、主人公たちは、自分で考えて、自分で決めて、行動を起こします。
そこが清々しいところではあります。
それぞれの旅に寄り添うスーツケースが、また素敵です。
分かりやすい感動はありません。
日々なんとか生きている人たちと、少し救われる出来事。
描かれているのは、あまりにも日常です。
だからこそ、読んで苦しかった。
でも、きっとまた、手に取るんだと思います。