【第11話】近藤史恵『スーツケースの半分は』日常に対して、「なんだかなあ」と思う人へ。
こんばんは。
今日は、三時間だけ働いたあと、美味しいお昼ご飯を食べに行って、帰りに気になっていたハンドメイドの雑貨屋さんに寄りました、okapです。
一目で気に入って、ショートのくせに髪留めを買ってしまいました。
水色のグラデーションタイルのうえに、ヒトデや、貝殻や、ガラスの石が置かれていて、とても綺麗です。
夏全開のデザインなので、今年はもうあまり身につけられないかなあ。
でも、見てるだけでときめくし、来年のお楽しみです。
そのあと帰宅して、近藤史恵『スーツケースの半分は』を読了。
読んだあと、珍しく、とても気分が沈みました。
取り敢えず、お腹が空いたのかなと思ってラーメンを食べに行きましたが、ずっと気分は晴れず。まっすぐ家に帰りたくなくて、オランジーナを片手に少しだけ近所をぶらついて帰りました。
日頃、見ないようにしていたことを、思わず考えてしまったんだと思います。
朝、電車に乗るたびに、このまま違う駅で降りて、気ままに散歩したいと思うこと。
旅行に行くときの、弾んだ気持ち。このまま、どこにだって行ける万能感。
一人ぼっちで異国にいるときの、自分が今ここにいる不思議と、少しの寂しさ。
あのときは、あんなに自由だったのに、今はどうしてこんなに、息苦しいんだろう。
ふと思いましたが、なんで人間って旅行に行きたいと思うんでしょうね。
長期間の休みであっても、家で過ごす選択肢もあるのに。
誰もが日常から逃れたがっているのか、それとも、狩猟民族だった頃の名残なのか。
ときどき夢想します。
自分は、その時代に生まれた方が、幸せだったんじゃないかと。
それとも、結局は、ないものねだりなんだろうか。
話を小説に戻しますね。
短編集で、それぞれ主人公は違います(というか、登場人物の一人ひとりにフォーカスがあたる感じかな)。
一話目は、海外に行ったことがない真美が、フリーマーケットで青いスーツケースと出会ったことに背中を押され、ビビりながら一人で憧れのニューヨークに行く話。
そこから、真美の友人がそのスーツケースを借りて旅行に行く話が続きます。
それぞれの旅で、幸せなことが起こるため、幸運のスーツケースと呼ばれることに。
そして、最後は、とても綺麗に物語が着地します。
ただ、幸せなことが起こると言っても、幸せ全開!という出来事ばかりではありません。腹がたつことも、落ち込むことも、たくさん起こります。
それでも、主人公たちは、自分で考えて、自分で決めて、行動を起こします。
そこが清々しいところではあります。
それぞれの旅に寄り添うスーツケースが、また素敵です。
分かりやすい感動はありません。
日々なんとか生きている人たちと、少し救われる出来事。
描かれているのは、あまりにも日常です。
だからこそ、読んで苦しかった。
でも、きっとまた、手に取るんだと思います。