まだまだ進退悩んでます。
こんにちは。
風早小夜子です。
メンタルは復活しましたが、盛大に人生迷っています。
はてどうしようか。
昨日、仕事の都合上で、ずっと気になってた学習法について調べていました。けテぶれ学習法という、小学校の先生が実践されている学習法です。
前からツイッターで存在は知ってて、フォローもさせていただいているんですけど、学習法の詳細をちゃんと調べたのは昨日が始めてでした。
すんごい衝撃を受けました。
そして、めちゃくちゃ胸が高鳴りました。
これ、やりたい。
やりたいことって、これなんじゃないだろうか。
そのテンションのまま、小学校の教員免許の取り方を調べて、取得可能な大学を調べて、編入できるかも調べて……。
来年度末で辞めて、しばらく旅行して、8月に願書出して、勉強始めて、10月に試験受けて、4月からもう一度大学生になる。
そして、2年勉強して、小学校の先生になる。
なにそれ、楽しそう。
でも、二の足を踏む事実もあります。
・休日出勤
・激務の割に給料高くない
え、現職辞めて更にハード(そう)な仕事目指すの?
ここで一旦思考がストップ。その後、時間を置いて再開。
なんで、世の中には完全週休二日で働ける教育現場はないのか。
なかったら自分でつくればいいのでは?個人塾でもひらくか?
そのあたりで、インタビュー記事
を発見したことをきっかけに、『サプリ』のセリフを思い出しました。
「そもそも 自分のやりたい事があらかじめ社会に職業として用意されてるわけないと思いますが?」
そうだった。何度も読んだのに、なんで忘れてたんだろう。
今まさに、その状況じゃないか。
そもそもなんで、教育に興味が出たんだっけ?
大学に入学する春、山口に住む同じ年の親戚が就職すると聞いた。
その子とは、幼少期に遊んだ記憶はあるけど、別に現在交流があるわけじゃないし、名前も思い出せないし、会っても分からないと思う。
そのとき考えたのは、「自分がもし山口に生まれ育ってたら、大学に進学していただろうか」ということ。
私が勉強をして大学に行ったのは、周りがそういう環境だったからでは?
甘ったれな自分は、その環境がなかったら高卒で就職していたんじゃないか?
大学に行かないという選択肢が身の回りになかったから、(自分にとって)ふって湧いた世界に驚いたんだと思う。
でも、そこが確かに入り口で、教育格差に興味を持った。
そこから、教育や貧困にも興味は広がっていった。
本当はね、塾なんていらない世界になったらいいと思っています。
親の年収と子どもの学力に明らかに相関がある、そんな世界クソ喰らえだって思う。
でも、そんな世界はまだまだ無くならないし、それなら公教育で受け止めきれない子どもと関わりたいと思って、学習塾に就職しました。学校にも家にも居場所がない子どもたちを知っていたから、というのもあるけど。
でも、ここだって、週に何回通塾できるか、講習会を取れるかだって、親の年収の影響をもろに受けます。
本当は、学力をあげるためには、週2回ぐらい来て欲しい。でも、そんなお金がないから何とか週1回でお願いしますって言われるお子さんもいます。
そういうとき、すごい無力感を感じます。
大学生時代にスタッフをしていたNPO法人が近くにあれば紹介するのにっていう子にたくさん会いました。
なんで自分はここにいるんだろう。
違うことが原因だと思ってたけど、メンタルがやられてたのって、ここの違和感が原因なのでは?
公教育ではできてないことを、外部から支えよう。
公教育ではできてないことを、内部から奮闘して変えてやろう。
上の方法でやってみようって思った。でも、続けられる自信がない。なんだか違うって思ってしまう。
それなら、下の方法に挑戦してみてもいいのかな。
そういえば、大学入学直後に教職の説明を聞いたとき、うちの大学では小学校の教員免許は取れないと聞いてショックだったことを思い出しました。
先生をするなら小学校の先生が一番いいなあって思ったから。
遠回りをしたけど、今からそういう選択もありかもしれない。
しかし、ブログに書くこと本当にコロコロ変わるな。
飽きっぽくて影響をうけやすいのは自覚してます。
でも、どういう手段を取るか迷っているだけで、やりたいことはブレてないつもりなんです。
全ての人が自分の可能性を信じて成長できる社会をつくるため、愛情をもってありのままを受け止め、安心して一歩踏み出せる居場所をつくり続けること。
カウンセラーかもしれないし、本屋かもしれないし、先生かもしれないけど、やりたいことは全部一緒です。
こうやって書いたら全部楽しそうだな。
今気付いてしまったけど、もう一回大学生やったら、一度はやってみたかった書店員になれるのでは?天才か?
落ちついて一旦寝ます。