本の処方箋「おくすり(本)だしておきますね」

放っておくと10時間ぐらい本を読み続ける女子が、悩みごと別に、本の処方箋を出すブログです。漫画も好きです。

応募できてなかった小説、供養します。ぜひ読んでみてください。

お久しぶりです。

しばらく更新していない間に名前まで変えました。

風早小夜子(かざはやさよこ)です。

ちゃんとペンネームつくろうと思って頑張って考えました。

大好きな小説の主人公から名前を取っています。二冊とも既に紹介しているのだ。

 

さて、今回のメインディッシュは、

「応募したと思ってたら再送依頼のメールが来てましたがガン無視したため文学賞に応募しそこねた話〜」です。

つらい。

もうそろそろ一次選考かな……?とドキドキしてメール検索したらこのザマです。

ショック。

 

原稿用紙40枚程度だったので、どこか違う賞に出そうと思いましたが、ちょうどいいのが見当たらず。

探すのが下手なだけかもしれませんが、ブログで発表して供養しようと思います。

 

本文にそのまま貼り付けてしまいますね。

読んでいただけると泣いて喜びます。

 

 

 

 

「スポットライト」

 

   枯れてる、と言われた。

   花についてではない、私のことだ。

   二十六歳になったが、浮いた話の一つもなく、彼氏を欲してもいない私に対して、友が言い放った言葉がこれだった。

「そんなこと言われてもさー」

   適当に返事をする。今日は、今年に入ってもう何度目かも分からない、愛すべき友人を慰める会だった。

   京華は、チラリと横を見る。

   隣に座る薫は、頬杖をつき、ぼんやりと目の前の空間を見つめていた。友としてのひいき目を抜きにしても、綺麗な顔立ちをしていると思うのだが、人見知りをする性格と、慣れてきた頃に頭角を表すズケズケとした物言いから、ターゲットの男の子を落とせたことはあまりない。今日も、好意を寄せていた男子にフラれたと、京華に召集がかかったのだった。

「だいたい、あんたはさー、もったいないと思わないわけ?」

   自分の恋愛でひとしきり嘆き、愚痴をこぼしきったあとは、決まって京華に矛先が向かう。これもいつものことなので、生返事で「んー?」と返す。

「髪はいつまで経っても黒のまんまだし、化粧だって眉毛しか描いてないでしょう?」

「そうだけど」

「彼氏は?つくんなくていいの!?」

「いい」

「会社にいい人いないの?」

「いない」

   京華は化学メーカーの研究職に就いていた。職場の人間の大半が男性だったが、彼らに度胸がないのか、はたまた京華に非があるのか、浮いた話は一切ない。京華としても、職場に恋愛関係を持ち込むのは面倒臭そうなので、真っ平御免だった。とはいえ、実際に面倒臭いかどうかは知らないのだが。

「じゃあこれだけ教えて。どんな男の子がタイプ?」

   それを言ったところでどうするんだ、と京華は投げやりに返事をする。

「あれがいいかな、ヒモ」

「は?」

「家に帰ったら、おかえりって言ってほしい」

「そんだけ?そんだけでいいの!?」

「うん」

「え〜それならせめて、掃除とかしてほしくない?」

   うーん、と、もごもご口を動かしながら考える。確かに、残業して帰ったときは、家を片付けてくれて、ご飯もつくって待ってくれてたら、有り難いなあと思うけど。でも、結局自分のことは自分でできるしな。

   ただ、一人で暮らす家が、寂しく感じることはあった。実家は気軽に帰れる距離じゃない。

「なら、僕なんてどうですか?」

   唐突に、割り込む声が上から降ってきた。視線を上げると、目が合った男の子がニッと笑う。カラリと乾いた声だった。手際よく私と薫の空いたグラスを回収する彼は、半年前に雇われたバイト君で、金髪ピアスの見た目に反して、丁寧な接客をする子だった。お客さんからの覚えもめでたく、常連のおば様たちのアイドルだ。

「あら、いいじゃなーい。一緒に住めば?」

   ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、薫がこちらを見ている。いや、いくら酔ってるからって、親友にほとんど初対面の男との同棲を勧めるなよ。

   薫の方を軽く睨んで黙らせる。そして、バイトの彼に向き直った。

「君、そんなこと言ってたらオバさんが本気にしちゃうよ?気をつけな」

「失礼しました」

   彼は、ニコっと音がしそうな営業スマイルを浮かべて、去っていった。その、ピンと伸びた背筋を見ながら、なんで唐突にあんなことを言ったのだろうと、京華は首をひねった。そこまで親しく会話をした記憶もない。

   その日、ベロベロに酔っ払ってしまった薫をタクシーに押し込む頃には、とうに日付は変わっていた。彼女はシェアハウスに住んでいるので、軒先に一人放り出しても、面倒見の良い住人が見つけてくれるだろう。運転手さんに住所を告げ、自分は乗らずにドアを閉める。薫は、トロンと眠そうな顔を向け、窓ガラス越しにバイバイと手を振った。

   家についたら連絡寄越しなさいよ。

   大声でそう諭す。

   聞こえたかどうかは分からないけれど、薫が心得たように頷いた。車が遠ざかるのを見送って、京華はくるりと背を向ける。

   ここから家まで、歩けない距離ではない。いつものように、帰ろうとしたところを、不意に後ろから呼び止められた。

「あの、」

   振り返ると、金髪のバイト君が立っていた。エプロンを外し、Tシャツに短パンという出で立ちである。しまったという顔をしているあたり、なんの計画もなく、うっかり声をかけてしまったのかもしれない。

   ふっと母性がわいて、こちらから声をかけた。

「どうしたの?」

   ほっとしたように返事があった。

「本日はありがとうございました。お一人でご帰宅ですか?」

「そう。もう一人はタクシーに突っ込んだ。君は?」

「僕も今日はあがりです」

「そう。今日はご馳走さまでした。美味しかったよ。また来るね、それじゃあ」

   京華は少し、よそ行きの顔で微笑んでから、背を向ける。

「あの、」

   今度は、振り返る前に、次の言葉が飛んできた。

「家、どのへんですか?送ります」

 

   

   なんでこんな状況になっているのだろうと、京華はまたしても首をひねった。

   常連の店のバイト君と、深夜1時半に、並んで歩いている。

   家がどうやら同じ方向らしく、送ってくれることになったのだ。

   バイト君は、名前をノボルと告げた。今は、大学3回生で、近くの国立大学に通っているそう。授業にはあまり行っていないらしいが、大学生なんて、そんな子が大半だろう。

「京華さんは、なんのお仕事をされてるんですか?」

「メーカーの研究職だよ」

「えええええ、研究者って、なんかカッコいいですね」

「ありがと」

   ころころ表情が変わるので、まるで子どものようだ。実際、私より、五歳は年下なんだけど。

「ノボル君は、将来とか考えてるの?」

   聞いてから、しまったと思った。踏み込み過ぎたかもしれない。

   しかし、彼はあっさり答えた。

「俳優目指してるんです。今は、オーディション受けたり、劇団で小さな役もらったりしてます」

   予想外の答えに面食らった。反応が少し遅れる。

「そうなんだ、でも、なんか納得」

「ホントですか!?」

   パッとキラキラした顔でこちらを見た。ブンブン振り回している尻尾が見えるようだ。眩しくて、咄嗟に目をそらす。

「普段の所作が綺麗だなあと思って」

   彼は、ありがとうございます、と照れたように笑った。

   私の家が近づいていた。

「このへんで大丈夫だよ。送ってくれて、ありがとうね」

   軽く手を振って別れようとすると、コートの裾を掴まれた。おや?と視線を上げる。

「あの、」

   言いにくそうに、顔を真っ赤にしている彼と目が合う。

「今晩、泊めてもらったりできませんか」

 

 

 

   京華は、シャワーを浴びながら、この日何度目か分からない「なんでこんなことに……」を繰り返した。キュッと栓をひねり、バスタオルで体をふく。シャワーを浴びる間、外で待てるなら構わないという交換条件を出した京華に、ノボル君はコクコクと頷いた。今も、ドアの前で待っているはずだ。パジャマ代わりのTシャツとジャージに着替える。

   京華の部屋は、1DKだった。ダイニングに、小さいけどソファも置いているから、そこで寝てもらえばいいだろう。と、そこまで考えて、京華は赤面した。急に心臓がバクバクしてくる。

   なんで断れなかったんだろう。初めましてに近い異性を部屋に招き入れるなんて、そんな真似をしようとしている自分が信じられなかった。そんなに酔ったつもりもないんだけどな。でも、もう今から「やっぱりダメ」とは言いづらい。

   京華は、いざとなったら殴りとばす覚悟を決めて、玄関のドアを開けた。

「おじゃまします」

   申し訳なさそうな顔をして、ノボル君が、ぺこりと頭を下げて入ってくる。

「本当に、無理を言ってしまって、すみません」

「いいよ。入れないんでしょ、家」

   どこかで鍵を落としてしまったらしいと聞いていた。

「多少散らかってるけど、ごめんね。ソファに毛布置いとくし、必要なら使って。このクッション枕替わりにしていいし。シャワーも自由に使って大丈夫。じゃあ、おやすみ」

   一息に言って、逃げるように自室のドアに手をかける。

「あの、」

   ノボル君の声に、キュッと、心臓が縮むのが分かった。振り返ることができないまま、そのまま立ちすくむ。

「ありがとうございます」

   背を向けたまま手を振って、京華は扉を閉めた。そのまま、扉に背を預けて、ずるずるとしゃがみこむ。

   シャワーを浴びて、スッキリしたとはいえ、お酒がまだ体に残っている。寝てしまおう。寝て起きたら夢かもしれない。

   布団を被って、きつく目を閉じた。

 

 

 

   何か音がして、京華は眠りから浮上した。

   うー、と伸びをして手を伸ばす。再び、聞き覚えのある音がした。どうやらスマホの通知である。

   やっとの思いで探り当てると、眠い目をこすって画面を開く。薫だった。

「やっほー、昨日はありがと!マジ感謝!次は、この前合コンで会った白川くん狙ってくわ!!」

   まるで恋するマグロである。止まらなかったら死んでしまうのだろう。その切り替えの早さが、彼女の良さでもある。

「京華も恋愛しなよ〜やっぱり昨日のバイト君はどう?京華がトイレ行ってる間にいろいろ聞いたけど、満更でもなさそうよん」

   そこまで読んで、一気に目が覚める。

   そうだった。え、今何時?

   時刻は九時を少し過ぎたあたり。土曜日の朝は、いつもより空気がのんびりしている気がする。しかし、本日の京華にとっては、それどころではない。一応、手鏡で髪と顔を確認したあと、そっとドアを開けた。

   目に入ったのは、ソファで眠るノボル君だった。暑かったのか、毛布がずり落ちている。服の隙間から、筋肉質なお腹が覗いている。思ったより、しっかりした体つきをしている……などと考えてしまい、慌てて目をそらした。

   しかし、どうしようか。

   よく寝てるから、起こすのも悪い気がする。

   悩んでいると、わずかに声を漏らし、ノボル君が顔を顰めながら目を開けた。

「おはようございます」

   寝起きの掠れた声が、少しセクシーだった。京華は、慌てて笑顔をつくる。

「おはよ、よく眠れた?」

「もうバッチリです。本当にありがとうございます」

   そう言いながら、彼は大きな欠伸をした。かざした手の隙間から見える、歯並びまでもが整っている。

「ごめんね、私も起きたばかりで、朝ごはんの準備がなくて……。パンぐらいなら焼けるけど、どうする?」

   ノボル君は、まだ眠そうに目をこすっている。

「お気遣いありがとうございます。でも、鍵も探さないといけないし、お暇します」

   無理に引き留めては、逆に気を遣わせるだろう。

「そっか、頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」

   彼は、すっと立ち上がり伸びをした。またしても、チラリと腹筋が見える。京華は、素知らぬふりをして、彼に洗面とお手洗いを勧めた。

   ノボル君の準備は、五分もかからなかった。玄関までお見送りをする。

「じゃあ、気をつけて」

   屈んでスニーカーを履く彼に声をかけた。ノボル君は、私を見上げると、ニッと笑い、そのまま、勢いよく立ち上がる。ぶつかる、と思わず体をそらせようとすると、骨ばった手が背中に回っていた。至近距離で視線が絡み、混乱する。そのまま、ノボル君がそっと囁いた。

「ありがとうございました」

   そうして、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、ドアの向こうに消えていった。

 

 

 

「え、それだけ?」

「うん」

「はあーーーーー!?おまえ、年頃の男女が一つ屋根の下で一泊して、そんだけ!?枯れてんなーーー。彼もウチ来たらよかったのに!!」

   その日の夜、事の顛末を薫に送ると、すぐに電話が来たのだった。別れ際、うっかりドキッとしてしまったことは、もちろん話していない。ただ、一晩、別の部屋のソファに寝かせてあげただけの話。

「本当にねえ」

   確かにシェアハウスの方が、気兼ねなく泊まれそうだ。ソファに寝転びながら、そう相槌をうつと、向こうで暫し沈黙があった。

「あんたさあ……」

   薫にしては珍しく、歯切れが悪い。「ん?」と続きを促しても黙っている。

「ま、ええわ。この年になってまで拗らせてるあんたの面倒見てられるか!私は私で忙しいもんね!!」

   威勢良く電話が切れた。

   ツー、ツーという音を聞きながら、ため息をつく。京華は、そのまま仰向けに寝転がった。

   薫は、恋人をつくれつくれって言うけどさ。好きになったって、報われるかなんて分かんないじゃん。むしろ、報われない可能性の方が高そうじゃん。それなら、仕事の方がよっぽど、見返りがある。別に、結婚だって、しなくていいのだ。だって、一人でも生きていける。一人でラーメン屋に入ることも、映画館に行くことも、なんの抵抗もない。

「さて、明日も休みだし、映画でも観るかな」

   そう声に出して、よっこらしょと起き上がる。その拍子に、カサリと紙のこすれる音がした。

「ん?」

   よく見ると、ソファとクッションの間に何か挟まっている。取り出して見ると、それは、折りたたまれたノートの切れ端だった。

「ヘタレですみません。キョウカさんが気づくか気づかないか、賭けてみようと思いました。僕が賭けに勝ったなら、連絡ください。昇」

   少し丸っこい文字が並んでいる。その横に、メッセージアプリのIDが書いてあった。

   紙に書いてあることが目の上を滑り、何度か読み直す。心臓の音がうるさい。と同時に、自分が宙に浮いて、その様子を傍観しているような気もした。

   さて、どうしようか。薫に相談しようか。

   そう思ったが、結局は止めにする。どうせ返ってくる返事は一択だ。

 

 

***

 

 

   突如、ブーっと音を立てて、スマホが震えた。慌てて手に取り、画面を確認する。

「昨日はお疲れ様。大変だったね。鍵は見つかった?」

   その返事を見た昇は、思わず手を高く突き上げた。

   よっしゃああああああ、第一関門、クリア!!!!

   彼女は、今、画面の向こうでどのような表情をしているのだろう。返事だけして、さっさとスマホを置き去りにしただろうか、それとも、僕の返事を待っているだろうか。

   昇には、全く想像がつかなかった。それは、ある意味で甘美なご褒美だった。つい、自分に都合のいいように、妄想してしまう。

   さて、どう返事を返そうか。

 

 

***

 

 

「お気遣い、ありがとうございます。鍵は、近所の交番に届けられていて、無事に家に入ることができました。昨晩は、急に押し掛けて申し訳ありませんでした。」

   録画していた映画を観ながら、チラチラとスマホを気にしていた京華は、通知音のした瞬間にバッと手に取り、一呼吸置いてから、画面を見た。文面を見て、ふっと息をつく。  

   無難な文章が並んでいた。当然だ。先に無難に返事したのは自分の方だ。放っておけば、これで会話は終わるだろう。そうあるべきのような気もしたし、そうなっては残念な気もした。

   困った。どう返せばいいんだろう。

   こんな気持ちは久しぶりだった。自分の返事ひとつで、将来がガラリと変わってしまうような恐ろしさ。自分は、一歩踏み出すのだろうか。それとも、日常の延長を、このまま続けていくんだろうか。

   思考の海に潜っていた京華は、再び手の中のスマホが震えたことに動揺し、思わず取り落としてしまった。慌てて拾い上げ、恐る恐る画面を確認する。

「宿のお礼に、今度、デートに行ってはもらえませんか。美術館のチケットを2枚頂いたのです。」

   心臓がへんな跳ね方をした。

   デートという単語を自分ごととして聞くのは、果たしていつぶりだろうか。

   落ち着け、京華。相手は五つも年下の大学生よ。しかも、イケメンの。デートっていうのも、茶化してるだけに決まってる。

   でも、なぜだろう。相手の本心がどうあれ、この駆け引きのようなやり取りを、もっと続けていたかった。

「あら、ありがとう。美術館は好きだよ。来週の土曜日はどう?」

   承諾するだろうと、とっくに自分でも知っていた通り、しかし、精一杯余裕ぶって、京華は返信した。

 

 

***

 

 

   さて。キョウカさんとはどう接したらいいのだろう。真面目そうだし、彼氏がいたことないって聞こえたから、こちらも硬派にいった方がいいのかな。

   などと、考えてはいたものの、いざ、本人を目の前にすると、全て吹っ飛んだ。

   キョウカさんは、待ち合わせ場所の時計台に、もう到着していた。時計の足の部分に軽くもたれ、手には文庫本を広げている。その姿が、その一瞬が、とても大切で、気高いものに思われて、声をかけられなくなる。

   視線に気づいたのか、ふっとキョウカさんが顔をあげた。

   目が合った瞬間に、明らかに動揺し、慌てて本を鞄にしまうその仕草が、とても可愛らしかった。相手も緊張しているんだと、少し気が楽になった。

 

 

***

 

 

「ねえ、なんで、声をかけてくれたの?私に」

   ベッドの上で、毛布にくるまりながら、彼女が問う。今日は、何度目かの逢瀬のあとで、ついに、「そういうこと」に持ち込めたのだった。今まで、彼氏が出来たことなかった、京華さんの、初めて。おずおずと背中を撫でる手が、くすぐったかった。

「理由、いります?」

   ペットボトルの水をテーブルに置き、彼女のもとに向かう。おでこにキスを落とした。その瞬間、ギュと目を瞑るのが可愛い。五つも年上だと思えなかった。可愛くて、愛おしくて、この手の中に閉じ込めて、守りたいと思う。

「だって……」

   俯く、その頭頂部の丸みですら、愛おしい。ベッドの隣りに潜り込み、くるりと背を向けてしまった彼女を、毛布ごと後ろから抱え込んだ。やわらかな髪の毛に、口付ける。

「姿勢がいいなあって、思ったんです」

   呑み屋には、いろんな人が来る。でも、ほとんどの人に共通するのが、お酒を飲みに来ているということだ。そして、たいていそんな人たちは、テーブルに肘をついたり、背もたれに寄りかかったり、隣の異性の肩にもたれたり、何かしら、かしいでいる。そんななかで、京華さんは、常に姿勢が良かった。

   座席を見渡したときに、目に付いた。そのうち、同じ人だと気づいた。いつのまにか、目で追うようになっていた。

   京華さんは、たいてい、ベロンベロンに酔っ払う女性の介抱をしていた。自分自身は、たいしてお酒も飲まないくせに、迷惑そうな素振りを一つもせず、友人の失恋話を聞いていた。

「それなら、私もだよ」

   ぼそっと小さな声が聞こえた。

「私も、昇君のこと、姿勢がいいなあって思ってた」

「見てくれてたんですか?」

   僕が声をかける前から。

   という言外のニュアンスは伝わっていたようで、「知らない」と彼女は照れてしまった。

 

 

***

 

 

   それから、たくさんの日を一緒に過ごした。

   休日は、必ずといっていいほど、京華さんの家に泊まりに行って、映画を見たり、それぞれ無言で本を読んだりした。京華さんの誕生日には、ユニバに行って、お祝いした。僕の誕生日は平日だったから、京華さんは仕事で、しかも残業になってしまって。だから僕は、京華さんの家でご飯をつくって待っていた。京華さんは、「どっちのお祝いだか分からないね」と申し訳なさそうにしてたけど、そんなことはどうでもよかった。

   そんな風に、ずっと愛しい日常が続けばよかったのに。

   就職活動もしないまま、僕が大学を卒業しようとしていたとき、急に別れを告げられた。

   その日、天気予報では、晴れるはずだった。だから、僕は、傘を持たずに、待ち合わせ場所に向かった。

   京華さんが指定したのは、彼女の最寄駅のそばの小さなカフェだった。余裕のある時間についたが、京華さんは既に席についていた。僕の姿を認めて、手をあげる。僕も手をあげて、注文を済ませて席についた。

「今日はどうしたんです?珍しいですね」

   京華さんは律儀なので、たいてい、会う約束は、前日までに済ませてしまう。当日の朝に、昼の予定を決めるのは、記憶にある限り初めてだ。薫さんと喧嘩でもしたのかなと、このとき僕は考えていた。

「昇君あのね、」

   そう言って、京華さんは暫くうつむいていた。目の下にクマがあったし、顔色が悪かった。これはどうやら、かなり深刻だと思って、彼女の手を取ろうとしたとき、京華さんは一息に言い切った。

「別れましょう」

   彼女のその言葉を、僕はどこか遠くで聞いていた。自分の両手が、彼女の手を掴み損なって、不自然な形で固まっている。自分が、水族館の水槽のなかにいるような気がした。ねえ、水に呑まれて、音がよく聞こえない。

「……なんで」

   かろうじて絞り出した声は掠れていた。こんな声でも、水槽の外には届いたらしい。

「他に好きな人ができたの。私の三つ年上の人よ。結婚を前提に交際を申し込まれたの」

「そんなの、知らない」   

「だって、言ってないもの」

   京華さんは、ふふっと口元を歪めて自嘲するように笑った。僕は、ぼんやりと、その顔を見つめた。寂しそうな微笑みだと思った。

   呆然としていると、京華さんが席を立つ気配があった。

「今まで、ありがとう。昇君。どうか、幸せになって」

   ハッと我に返り、スプリングコートの裾を掴もうと手を伸ばす。しかし、その手をすり抜け、京華さんは歩いて行ってしまう。

「待って!」

   慌てて追いかけようとして、足がもつれて思い切りこけた。周囲の好奇の視線が痛い。店員が気を遣って声をかけてくるのに何とかお礼を言い、這々の体で立ち上がる。

   そのあいだに、彼女はもう店の外に出てしまっていた。

「待ってよ!!」

   やっとの思いで、追いつく。肩をつかんで、無理やり振り返らせると、彼女は涙を零していた。その顔を見たら、もう我慢できなかった。

「なんで、別れようなんて言うんですか」

   どう見ても、本心からの言葉に思えなかった。彼女の顔は、悲しいけど悲しいと言えない子どものように、くしゃくしゃだった。

「言ったじゃない。好きな人が」

   最後まで言う前に、京華さんの唇に噛み付く。涙に濡れて、しょっぱい味がした。抵抗する彼女の両手首を片手で難なく捕まえて、もう片方の手で、頭を抱え込む。彼女は体をよじろうとするが、僕の腕はそんなことではびくともしない。

   気づけば、雨が降り出していた。あっという間に土砂降りになる。人々は、雨に濡れまいと顔を隠し、僕たちは、世界に二人きりになった。

   手を彼女の両手首から離し、濡れぼそったシャツの上から、胸のボタンに触れる。びくりと体が震え、自由になったはずの両手で僕を遠ざけようとするが、まったく非力だった。

   大丈夫。だって、彼女のことなら、なんだって知っている。

   ボタンを一つだけ外し、根気強く、敏感な先端をまさぐる。やがて、完全に彼女の力が抜け、大人しくなった。そのまま僕に体を預ける形になる。そこでようやく、僕は唇を離した。

「ね?京華さん。考え直して?僕以外に、京華さんを幸せにできる人なんかいません。相手が誰だか知らないけど、僕の方が、京華さんを愛してます」

   必死だった。こんな言葉をつらつらと並べながら、僕は頭をフル回転させていた。

   京華さんの好きな人って誰だ?三つ年上ということは、今ちょうど30歳のはずだ。職場の人だろうか。それとも……。

「ね、昇君」

   京華さんが、僕の頬に手を当てた。泣いている子どもの心配をしているような、優しい手だった。

「ごめんね、好きな人ができたっていうのは嘘。自分勝手でごめんなさい」

   このあとに、何を言われるのか、もちろん知っていた訳ではなかった。

   でも。

   このときの、京華さんの言葉を、表情を、僕は死ぬまで思い出すだろう。何度も、鮮明に。

   そう思った。

「でもね、私は自分の力で幸せになれる」

   そう言う京華さんは、瞳だけが、ほんの少し、愛しさと寂しさを滲ませていて。そして、晴れやかな顔をしていた。

   これは、お願いでも、相談でもなく、報告だ。京華さんは、すでに心を決めている。

   僕は、どうやっても引き留められないことを悟った。

「ありがとう、今まで仲良くしてくれて。これからの昇君を応援してる」

   京華さんが去っていく。僕の人生から。

   初めて、自分から好きになった。初めて、勇気を振り絞って、自分から声をかけた。それなのに、京華さんは、本心をぶつけてくれないまま、僕の手からすり抜けてしまう。

   いったい、なんと言えばよかったのだろうか。

   かけるべき言葉が見つからなかった。   

   ゆっくり、京華さんが背を向ける。そのまま、土砂降りの雨のなかに、消えていった。

   ただの一度も振り返らなかった。

   

 

***

 

 

「しっかし分かんないわー、私には」

   飲み干したジョッキを勢いよく机に叩きつけ、薫が嘆く。

「寂しくないの?」

「そういう問題じゃないの」

   京華は、涼しい顔で答えた。

   初めて付き合った恋人と別れて5年。それから、誰とも交際はしていなかった。一方の薫は、合コンで出会った男性と電撃結婚をして、もう三年になる。今では一児の母だ。薫の方が断然忙しいはずなのだが、たまにこうして付き合ってくれる。

「昇君とより戻さないの?だって、今ではもう立派な駆け出しの俳優くんよ?そのまま捕まえとけばよかったのに」

   初めて昇君をテレビで見かけたのは、いつだったか。最近は、映画のコマーシャルでも、しばしば目にするようになった。

「ていうか、もう時効でしょ?なんで別れたりなんかしたのよ、教えなさいよ」

「秘密」

「もう、変なところで頑固なんだから」

   薫はぷっと頬を膨らました。

 

   今日も今日とて、酔いつぶれてしまった薫を、家まで送り届ける。旦那さんに引き渡すと、いつもの通り、丁重に感謝された。彼の両親と一緒に住むのは、何かと気苦労も多いのだろう。それを分かって、こうして飲みに送り出す薫の旦那は、本当にいい男だ。

   そのあと、いつもならそのままタクシーに乗って帰るところ、ふと歩こうと思い立って駅まで歩くことにする。もう三月だというのに、風が少し冷たかった。

   実は、薫にも、誰にも言ってないことがある。

   昇君と別れたあの頃、京華は妊娠していたのだった。

 

 

***

 

 

   あれ、いつから生理が来てないんだっけ。

   トイレでふと気になった。しかし、京華は、日記などつけていなかったので、前回の生理がいつだったのか、記憶しか頼るべきものがない。その記憶も、かなり曖昧だ。しかも、最近、生理周期も平気で狂うようになってきて、ますます訳が分からない。

   でもなあ、もう二十も後半だしなあ。こういうのも気を使った方がいいのかしら。

   そういう軽い気持ちで、仕事帰りに受診した婦人科だった。そこで妊娠を告げられた。

「おめでとうございます。現在三週目です」

   一瞬、何を言われたのか分からなかった。

   医者の言葉が、遠くから聞こえる。

   まだまだ子どもに思える自分の身に、正真正銘の子どもが宿っているというのが、なんとも頼りない。

   自分が母になった実感なんて、欠片も湧かなかった。

   だから、帰りの道すがら、ぐるぐると考えていたのは、妊娠が嬉しいとか、楽しみとか、そういう感情ではなく、昇君に何て言おう、ということだった。

   まだ二十一歳の彼に、二十六の女が妊娠しましたと告げるのは、あまりにも重い。

   彼は、単純なところもある。泣いて喜んで、結婚しましょうなどと言いかねなかった。それで、本当によいのだろうか。

   延々と悩みながら、最寄駅から帰宅している最中だった。

   駐輪場によく付いているようなトタンの細長い屋根があり、そこの棒にぶら下がって、若い男性が懸垂をしていた。

   真っ暗ななか、そこだけ、街灯で照らされている。

   まるで、その男性のところだけ、スポットライトが当たっているような。

   暗闇のなか、ぽっかりと浮かび上がる、懸垂をする男性。

   非現実的な光景だった。

   今抱えている悩みも忘れて、つかの間、京華は見惚れていた。それほどまでに、うつくしい光景だった。

   しばらくして、男性が懸垂をやめて、一息つくのが見えた。

   横顔が見えて、京華は息を呑む。

   昇君だった。

   その瞬間、京華は、彼には何も言うまいと心に決めた。

   今振り返ってみても、理由はうまく説明できそうにない。彼の若さを思い知ったのだろうか。彼が夢を追いかけていることを思い出したのだろうか。

   分からない。ただ、このとき京華は一人で強烈に決意したのだった。

   一人で産み、一人で育てる。

   そのためには、別れなければならない。

 

 

***

 

 

   下手な嘘をついて、別れ話を持ち出した。

   雨のなか、彼に言った。

   私は自分の力で幸せになれる。

   この言葉に嘘はなかった。だって、私は一人で充分生きていける力がある。安定収入はあるし、身の回りの世話もできるし、自分で自分の機嫌だって取れる。

   でも、結果として、それが正しかったのかは分からない。結局、赤ちゃんは、妊娠十週を迎える前に流れてしまった。ひとしきり泣いて、こっそり弔ったあと、京華は、何事もなかったかのように日常に復帰した。いや、多少取り乱した時期もあるが、薫には、昇君と別れたからだと思われていただろう。仕事でも、責任ある立場を任されるようになった。少しずつ、少しずつ、回復してきた。

   テレビで初めて昇君を見たときには、息は詰まったけれど、惜しいことをしたとは思わなかった。

   この身には何も残っていない。かつて愛した人のモノも、忘れ形見も、何もない。あるのはただ、思い出のみ。

   それでも、私は生きていける。

 

 

   背筋を伸ばして、京華は歩いた。

   街灯がポツポツと、道を照らしてくれていた。