自分以外の誰かになりたい人へ。山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」
こんにちは。okapです。
今日は久しぶりのお休みで、彼氏とデート、元バイト先の先輩と呑み、実家に帰るの3コンボを果たしました。
実は連休なのだ。ふふふ。
連休に備えて、新しく本も購入してホクホク。
ハードカバーでも、文庫化するのを待てずに購入するケースが増えており、本棚の容量が心配。
かといって、漫画とビジネス本はKindleでガンガン買うけど小説は電子書籍で買う気がまだ起きないんよな。省スペースで非常に良いと思うのだけど。
大好きな小説家の方々と本屋を応援する意味でも、本屋さんで本を買おうと思います。本屋がなくなったら嫌だなあ。
さて、今日紹介するのは、連休に備えて買ったハードカバー……ではなく、山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」
。
まず本のタイトルがとても良い。
語感の良さもさることながら、この言葉だけで、人生に飽きている女の人がふっと浮かぶのが凄い。
もちろん内容もとても良かったです。
「人生に飽きている女の人」と一口に言っても、その姿形、性格、年齢は様々で。
きっと、3年後、5年後、10年後の自分がもう一度これを読んだとき、全く違う部分に、でも同じように共感するんだろうなと思った。
実家があるのは、別に田舎ではないし、そこそこ都会の方だろうし、住宅街というだけで、小説の舞台になるような地方都市とはかけ離れている。
でも、ずっと思ってきた。
自分じゃない誰かになりたい。
教科書、持ち物、テスト、手続きの書類、その他諸々。
人生で一番書く機会が多い名前って、やっぱり自分の名前ではないかと思う訳です。
自分の名前を書くたびに、いつも考える。
自分は、この人間をどう思っているんだろう。
無邪気に誇らしく思っていた時期もある。
とてつもなく自己嫌悪に陥っていた時もある。
ま、しゃーねーか、それでも自分は自分だもんなと思える時もある。
自分って何か分からなかった。
今は、少しずつ自分を客観視できるようになってきた気がする。それでも、分からないと思う部分の方が多い。
自分じゃない誰かが眩しかった。
なんで自分は、自分以外の何者にもなれないんだろう。
明らかに、自分ではない誰かに向かって放たれた言葉である。
この退屈な人生を救ってくれる誰かを、いつも求めている。
解説でも触れられていたが、作中で唯一退屈していない人が出てくる。
彼は、小学校時代から皆の人気者で、輝いていて、中高時代もモテていて、サッカー選手になったかと思えば実業団が潰れてしまって、様々な職を転々としてから、自動車教習所の教員になっている。
キラキラ輝く青春から、冴えない大人へ変貌してしまった彼は、それでも自分の人生を悲観していないだろうし、退屈もしていないだろう。
真っ当に、地に足のついた生活をしている。
そんな彼も、この短編集の中で一編、彼がゲーセンの店長になってやさぐれている話が出てくる。
そこでの彼は、疲れてるし、人生を諦めている。
しかし、ある出会いから新しい人生へ歩み始める。
退屈してなさそうに見える、自分を受け入れているように見える人でも、人生に迷うことはある。
それ以外の人にとって、なんの変哲もない、ただの自分で生きていかなくてはならないこの人生に、どうか少しでも救いがありますように。